作者: 岡田達矢 先生
「その行動を起こす、起こしてしまう児童の気持ちを考えてごらん。」
この言葉は、名古屋市の教員になって初めて赴任した学校で、20年目の先輩教師に掛けられた言葉だ。目の前の問題にばかり気を取られないで、少し俯瞰して見てその児童の気持ちを考えてみようというものだ。
初めて担当したクラスは小学校4年生。年齢にすると9〜10歳。一般的に、それまでの男女関係なく仲良くしていた年齢とは変わり、男子と女子の違いを少しずつ意識し始め、それぞれにグループを作り始める”ギャングエイジ”と呼ばれる発達段階に入っている児童たちだった。
教師になったばかりの私は、学級児童の中の良くも悪くも目立つ子ばかりに目がいっていた。納得いかないことがあると泣き叫び混乱してしまう児童、頭の回転が速いからか自分の知っている問題はどんどん声に出して答えを言ってしまい授業の雰囲気を壊してしまう児童。様々な課題が見つかる度に、その児童その児童への対応で追われるようになっていった。
そんなある日、物隠しが始まった。さっきまであった児童の持ち物が突然無くなるのだ。物が無くなるのは一人の決まった生徒ではない。最初は、上着。次は、他の児童の漢字ドリル。子どもたちに、朝の会や帰りの会、学級活動(HR)の時間を使って尋ねてみても、全く解決の手がかりは掴めないまま物隠しは続いた。しかし、不思議なことに、それらの隠された物は、毎回同じ教室内で比較的簡単に見つかるのだ。
抱えていたところに、私は先ほどの先輩教員からの言葉を掛けていただいた。私は、最初意味が分からなかった。なぜなら、物を隠されている児童に共通すること、学級内での児童の交友関係、物が隠されやすい時間帯など、私はクラスの様々なことについて考えていたと思っていたからだ。
しかし、先輩教員に再度尋ねるとこんな答えが返ってきた。
「確かにそうだな。よく考えているし、よく見ている。けれどね、物を隠している児童はそもそもどうしてそういうことをしているのだろう。物を隠す児童、隠されている児童以外はどんなことを考えているのだろう。」
私は、ハッとした。言葉通りに考える視点を変えてみた。今まで事実関係ばかりつなげて考えようとしていた視点から、児童目線の視点へ。そうすると自分の児童に対する考えや言葉掛けにも、驚くことに変化が出てきたのだ。
「物がなくなることがまた起きました。心当たりがある人は先生にちょっと教えてほしい。正直に言ってほしい。」
こうした一方的に特定しようとする言葉が、いつしか
「物を隠してしまう子の気持ちを考えると先生は本当に辛い。隠したくて隠してるわけではきっとないと思う。そして、周りのみんなにも申し訳なかったね。きっと、みんなも友達のSOSに気付きたいってずっと願っていたのに、先生はいつもみんなに”誰か知らないかな?”と聞き続けてしまっていたね。」という言葉に変わった。
物隠しはその日を境に無くなり、その後は、毎日大変なことがあってもとにかく楽しい一年だった。球技大会の横断幕には、私の名前(OKADA)と児童数34を当時流行り始めていたアイドルグループ「AKB48」に似せた「OKD34」という文字が踊った。
今でも、ついつい問題が起きるとその表面的なことに目が向いてしまいがちだが、やはり12年前にかけてもらったこの言葉は忘れてはいけないと思う。日本で生まれ育ち中国に来た私。いろいろな背景をもって信男に集まった生徒たち。こんな偶然はやはり運命としか言いようがない。まさに一期一会と思わずにはいられないのだ。
これからも生徒の考えや困っていること、そして、本当に願いを汲み取ることができるように、生徒と一緒に精進していきたいと思う。