偉大さとは、これほどまでに平凡なものなのか
―― 若い世代に伝えたいこと
数年前、京都大学の山中教授は、自宅で洗濯機を修理している最中に、ノーベル生理学・医学賞受賞の知らせを受けたという。
そして今年、ノーベル化学賞を受賞した東京理科大学の硤合教授は、毎朝、古びた自転車を押しながら、ごく普通の市民と変わらぬ姿で街へ買い物に出かけるという。
あまりにも平凡で、飾り気のない日常の光景。
しかし、その主人公たちは、人類の科学の頂点に立つ人々なのである。
このような姿を目にすると、私たちは改めて考えずにはいられない。
真の偉大さとは、いったい何なのだろうか。
現代社会では、高級車や豪邸、肩書きや権威、華やかな暮らしぶりによって、人の成功を判断しようとする風潮がある。
まるで、多くの人々に取り囲まれ、華やかな服装に身を包み、贅沢な生活を送る人ほど、尊敬され、仰ぎ見られるべき存在であるかのように。
しかし、人類の未来を変えるほどの偉大な業績を残した科学者たちは、驚くほど質素で平凡な暮らしの中で、私たちにまったく異なる人生の境地を示している。
彼らは生涯を科学の探究に捧げながらも、自分自身を特別な存在として、一般の人々より高い位置に置こうとはしない。
世界を変えるほどの知性と才能を持ちながらも、富や権威、華やかな振る舞いによって、自らの価値を証明しようとはしない。
科学の世界では誰よりも高い頂を目指しながら、日常生活においては、ごく普通の一人の人間として生きている。
そこにこそ、私たちが心から敬意を抱くべき、真の偉大さがあるのではないだろうか。
私たちは、若い世代に伝えなければならない。
人間の価値は、どのような車に乗っているか、どれほど立派な家に住んでいるか、どれほどの財産を持っているか、あるいはどれほど多くの人々に囲まれているかによって決まるものではない。
その人が社会に何を生み出し、人類の未来に何を残したかによってこそ、評価されるべきなのである。
私たちが本当に尊敬すべきなのは、富を誇示する人ではなく、知の真理を探究する人である。
権力を手にした人ではなく、人類の文明を前進させる人である。
教育の使命は、単に成功を追い求める人間を育てることではない。
人生において、本当に追い求める価値のあるものは何かを理解できる人間を育てることにこそ、教育の本質がある。
私は、私たちの生徒たちに願っている。
科学の高みを目指す大きな志を持ちながらも、平凡な暮らしを穏やかに受け入れる心の豊かさを持ってほしい。
世界を変えようとする理想を抱きながらも、物質的な豊かさだけで人生の価値を測らない、確かな判断力を身につけてほしい。
なぜなら、真の偉大さとは、自分を他人より偉く見せることではなく、自分がこの世に生きたことによって、世界を少しでもより良い場所にすることだからである。
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「私たちが子どもたちを教育するのは、将来、どれほど高価な車に乗れる人間にするためでもない。たとえ古びた一台の自転車に乗っていたとしても、世界中の人々から尊敬されるような人間に育てるためなのである。」
「教育における最大の失敗とは、生徒が社会的な成功を収められなかったことではない。富や地位を手に入れた後も、なお『真の偉大さとは何か』を理解できない人間に育ってしまうことである。」
信男教育学園
理事長 魯 林



